ピチカート・ワンのインスタグラム、2025年8月21日の投稿を載せてみます。

 新しいウェブサイトの立ち上げを記念して、なにか書き下ろしを、というリクエストがありましたが、「困ったことに」「タイミングのわるいことに」今年に入って『群像』という月刊の文芸誌に目下、原稿を連載中で、それは主に身辺雑記を書いておりまして、そんなわけでなにか書いてみようか、きょうこんなことがあった、きのう会った人がこんなことを言っていた、先週買ったレコードを聴いていたらこんなことを思い出した、さっき劇場で映画を観ながら、こんなことを思い出した、と頭の中にアイデアが浮かぶや、きまってもうひとりのじぶんが、おい、待て、それはつぎの『群像』の連載の原稿に使えるかもしれないぞ、と耳打ちするので、やはり書くことをためらってしまいます。

 というわけで、ここから下には先日、8月21日にピチカート・ワンのインスタグラムのアカウントに掲載した文章を再録しておきます。それでもときどき、なにかひらめいたときにはこちらにも書き下ろしの文章を掲載しますので、たまには当ウェブサイトをのぞきにきてください。いわゆる生存確認ですね。

 今週の日曜日、恵比寿のリキッドルームで行われた「ロケットマンフェスティバル」の楽屋で田中知之さんからご挨拶いただき、そのとき「この9月でFPMもデビュー30周年を迎えまして」と仰るので「おめでとうございます!」と応えましたが、心の中では「オレも今週、レコードデビュー40周年」だったっけ、と考え、思いがけずこの投稿のマクラをプレゼントしてくださった田中さんに感謝しております。
 1985年の8月21日にテイチク・ノンスタンダード・レーベルから「オードリィ・ヘプバーン・コンプレックス」という12インチ・シングルをリリースしたピチカートV、というバンドのメンバーとして、わたくしは音楽家という職業を自称するようになり、そこからなんとか40年、ある時期は「我ながらあくせくと働いている」と考え、またある時期は「我ながらどうやって食えているのだろうか」と訝しみ、とはいえ、ほとんどの時間をもっぱら面白おかしく過ごしてまいりました。これもひとえにファンの皆さま、いつも仕事でお世話になっている皆さま、スタッフの皆さま、そして友人たち、ひとえに皆々様のおかげだと思っております。
 8月21日の朝は細野晴臣さんに短いメールを送りました。近頃、何度も何度もくりかえし言ったり書いたりしておりますが、こうして現在も音楽の仕事をなんとか続けることができるのも、ひとえに細野晴臣さんがレコード・デビューのきっかけを与えてくださったから。そう思うと、どんなに感謝しても感謝しきれないほどです。
 もちろん、細野晴臣さんひとりのおかげではなくて、最初のバンドのメンバーだった高浪慶太郎さん、鴨宮諒さん、佐々木麻美子さん、細野さんとピチカートVをつないでくださった和田博巳さん、デビューの前後から数年にわたってなにかとお世話になった長門芳郎さん、佐々木麻美子さんを紹介してくれた関口太さん、いつも楽器をお借りしたり、さらにはデビュー・ステージのチャンスまで作ってくださった鈴木智文さん、ぼくの音楽制作をなにかと手伝ってくれた札幌の井上大介(呼び捨て)、ポスターやジャケット・デザインはじめ初期のピチカートVの意匠を全面的につくってくださった平野恵理子さん、あのバンドをつくるきっかけをくれたのかもしれない故・宮田繁男さん、そしてピチカートVの当時のメンバーの両親や親戚、友人や先輩後輩の皆々様。この場を借りて深く感謝の気持ちをお伝えいたします。
 40年前のきょう、当然ながらぼくは都内のレコード店をいくつか周りました。渋谷・公園通りにあった「ディスクユニオン」、渋谷西武デパートB館地下の「ディスクポート」、新宿「ディスクユニオン」、同じ日ではなかったかもしれないですが、銀座の「山野楽器」や池袋の「オン・ステージ山野」にも行った記憶が。もちろんレコードを買ったわけではなく、ちゃんと入荷しているかどうかをたしかめるのみ。よし、あった、と確認するだけで胸がいっぱいになり、幸せな気持ちで家路につきました。やがて大変な毎日がやってくるとも知らずに。
 とは言うものの今年、この音楽家を自称して40年目というこの2025年に、自作曲を歌ってジャケットも自らの肖像写真、名義も自分の名前のアナログ・レコードを作ることができたのはただただありがたく、うれしいことでした。
 皆さま、ほんとうにありがとうございます。これから先ももうすこしだけ、自称音楽家としてなにか作ったり演ってみたりするつもりですので、末永くお付き合いのほど、よろしくお願いいたします。

 ところで、上の文章の中で、8月21日は細野晴臣さんに短いメールを送った、と書いていますが、このメールはどうやら届かなかったか、読まれないままだったようで、海外公演の最中なのかな、お忙しいのかな、などと考えているうちに時間が経ちまして、けっきょく8月は細野さんと連絡が取れないまま、9月に入ってからもう一度メールを送ってみるとすぐにご返信をくださって、よかった、体調をくずしたのかと心配してた、とのお言葉。心配していたのはこちらも同様でしたので、うれしいような、拍子抜けするような、やはりうれしい心持ちになりました。それではまた。 小西康陽

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